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靴を愛する者の共同体

ギルド系アトリエの公開

人間は、向上に対して喜びを感じる。既に知っているもの、既に持っているもの、既に伝えたものに比べて、より優れたものを知ること、より優れたものを手にすること、より優れたものを伝えることに喜びを感じる。

当スタジオを立ち上げる以前、私は、日本で自身のコレクションを出品していた。出品にあたっては、常に「前回よりもさらに良い靴を」と考えていた。それに対して、参加者の皆さんも私も喜んでいた。

だが、それはやがてピークに達した。「一般に流通するものでは、これ以上の靴はない」という領域に達した。そこで私は、ギルド系アトリエを紹介しようと思った。ギルド系アトリエを取材し、その内容をウェブ講演と長編コラムで公開した。

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革靴業界と現状維持を望む心

人間は、向上に対して喜びを感じる。その一方で、心理的ホメオスタシスを備えており、現状維持を求める。ある物事や状況に対して「向上を望む心」が優勢な人もいれば「現状維持を望む心」が優勢の人もいる。

ご存知の通り、革靴業界は他業界に比べて保守的であり、取引関係や競争関係が固定化している。

例えば、一部のタンナーや靴メーカーは、古くから取引のある業者へ、より出来栄えの良い製品を卸す。このケースでは、古い業者ほど競争力が高くなり、それが固定化する。また、各ブランドは、ブランドの周知の序列(格付けのようなもの)を守る。例えば販売価格において、自身より格上とされるブランドを上回らないようにする。

この環境は「向上を望む心」よりも「現状維持を望む心」と親和的である。この環境では、多くの人間が「現状維持を望む心」を強くする。

より優れた靴が登場すると、自身の靴(自分が制作している靴、自分が流通させている靴、自分が履いている靴)の価値が相対的に下がる。現状維持を望みながら、自身の靴の地位を守ろうとするなら、より優れた靴の登場を拒絶するしかない。

したがって革靴業界では、以下のようなことが繰り返し発生してきた。

新興ブランドの運営者や履き手が、自身の靴が有名ブランドの靴に勝るとアピールした結果、取引の妨害を受ける。メディアが、新興ブランドを上位とする格付けを公表し、バッシングを食らう。フォーラム等で、そういった格付けが書き込まれ、削除される。

振り返ってみれば、90年代以降 "周知の序列" に割って入ったブランドは極少数だ。その極少数のブランドも、有名ブランドから独立した者のブランド(有名ブランドののれんを持つため、実質的には新興ブランドではない)ばかりだ。

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公開に対する反応

本章1節で述べた通り、私の出品活動では、常に「前回よりもさらに良い靴を」と考えていた。この活動の内部には、それを好む人々、つまり「向上を望む心」が優勢な人々がいた。したがって、内部からは、ギルド系アトリエの公開に対して、ポジティブな反応を受けた。

ブランド運営者の方々からは、例えば「ギルド系作品のような靴が広く流通すれば、高級靴も高級時計と同じく資産として認識され、需要が増すかもしれない」「作り手として、どう生き残るかを日々考えているが、ギルドにおける作り手と履き手の関係は、そのヒントになる」という声があった。

履き手の方々からは、例えば「招待制の靴店の噂は欧州で耳にしたが、彼らが現存することを知って高揚感を覚えた」「ほぼ全てのブランドが品質を下げていく現状において、品質第一主義を維持する者の存在は救いである」という声があった。

その一方で、この活動の外部には「現状維持を望む心」が優勢な人々が多い。彼らの一部からは、ネガティブな反応を受けた。

大手代理店関係者からは、ウェブ講演と長編コラムの公開差し止めの要請があった。大手小売店関係者からは、作品の流通に対する妨害があった。彼らは、より優れた靴やその所在が知れ渡ることで、彼らのブランドが地位を失うことを危惧していた。

また、インフルエンサーからは「確かにギルド系作品は最高品質の靴だが、一般の消費者が入手できない点で、実質的には絵に描いた餅だ。その存在を示しても、人々を欲求不満にするだけ」という声があった。

私は、前節で述べた歴史("周知の序列" に反する者が拒絶されてきた歴史)を鑑みて、ポジティブな反応だけでなく、ネガティブな反応も想定していた。そして、代理店関係者や小売店関係者の言動は、適法かつ企業戦略上妥当だった。また、インフルエンサーの意見は筋が通っていた。

したがって、ネガティブな反応に対して抗うつもりは一切なかった。全ての反応を、あって然るべきものとして受容していた。

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全ての靴好きは、同志である

ギルド系アトリエの公開に対して、ポジティブな反応を取った人々も、ネガティブな反応を取った人々も、皆、人間である。時には「向上を望む心」が優勢になり、時には「現状維持を望む心」が優勢になる。

ポジティブな反応を取った人々も、例えば、新しい職場に対しては緊張を感じるだろう。ネガティブな反応を取った人々も、例えば、新たにお気に入りのコーヒーと出会えば喜びを感じるだろう。たまたま、公開の形式(論理展開や文体、資料等)が好まれて、それがポジティブな反応に繋がった可能性もある。たまたま、公開の形式が好まれず、それがネガティブな反応に繋がった可能性もある。

つまり、この業界の環境では、あるいは、この公開に対しては、いずれかの心が優勢になり、それがいずれかの反応として表れたに過ぎない。いずれの反応を取ったかは、末梢的な違いである。

革靴業界には、メルセデスベンツやロレックスほど広く認知されているブランドがない。また、日本の革靴購入者のうち、5万円以上の靴を買う人は約5%である。現状、高級靴市場は、高級車市場や高級時計市場に比べて圧倒的に小規模である。

高級車市場や高級時計市場には、多種多様な大勢の人々がいる。そのため、人々の考え方や感性の共有度が低い。例えば、ある人物に関して、単に「高級車好き」あるいは「高級時計好き」という情報を与えられても、その人物像を想像できない。

それに比べて、高級靴市場では、人々の考え方や感性の共有度が高い。例えば、ある人物に関して「高級靴好き」という情報が与えられれば、その人物像がある程度想像できる。

ポジティブな反応を取った人々も、ネガティブな反応を取った人々も、皆、靴を愛している。末梢的な違いはあれど、本質では、靴を愛する者に特有の考え方や感性を共有している。

私は、ポジティブな反応を嬉しく思っている。しかし、だからといって、ネガティブな反応を悲しく思っていない。ある人が、いずれの反応を取ったとしても、その本質の心を愛せるからだ。

私は、靴を愛している。そして、靴を愛する心を愛している。ゆえに、靴を愛する者を愛している。私は、靴を愛する者全員で、より良い世界を築きたいと思っている。

『革靴業界の新時代』文:Tohru Shiina 編訳:Kohki Kazami

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