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新・ブランド論

忘れられるもの

現代人は、四六時中、液晶画面を見ている。絶えず新情報を認知しながら、古い情報を認知外へ追いやっている。それに伴って次から次へと、新たな欲求を持ち、古い欲求を捨てている。2章で挙げた例のように、スポーツニュースを読んでいたらクルマの広告が目に留まり、クルマが欲しくなって、クルマについて調べていたら高級時計が欲しくなるといったことを一日を通して何度も経験する。 2章1節『刺激が多い時代で』

消費者は、いわば急流の中にいる。流れてくる大量のもののなかから、僅かなものをキャッチする。そして他に良いものをみつければ、すぐにそれをリリースする。

現代の大半の消費者は、世間からの評価およびイメージを重視する。事業者は、キャッチの対象を目指して、可能な限り多くのリソースを世間からの評価およびイメージ向上に充てる。例えば一等地に旗艦店を構え、各種メディアに広告を載せ、雑誌やインフルエンサーに案件を依頼し、消費者にレビューを依頼する。 6章2節『メインストリームにおけるセオリー』

この急流の中では、良い評価や良いイメージを築いても、すぐに後続に取って代わられる。まるでデータが上書きされるように、自社や自社製品の存在は忘れられる。したがって、こういった施策へのリソース投入を止められない。

2010年頃、カントリー系の靴ブランドが日本で大々的な広告宣伝活動を行い、人気を得た。著名人にも愛用され、テレビにも登場した。だが、広告宣伝活動を縮小した途端、急激に人気を失った。後続のブランド達は、二の舞いを演じないように、旗艦店運営や雑誌等への案件依頼に莫大な資金を投じ続けている。

だが、彼らもいずれは別のブランドに取って代わられる。資金不足になれば、彼らが築いている評価やイメージも上書き消去される。かつてカントリー系ブランドを履いていた消費者はそれを履き替えたが、同じように、彼らは今流行りのブランドも履き替える。

そして、こういった移り変わりの主役でないブランドは、移り変わりに合わせて、人気アイテムのオマージュを作り変えていく。 2章2節『宝物の消失』

少数の人気アイテムを頂点、数多のオマージュを下層とするピラミッドが、数年毎に繰り返し構築され、破壊される...

その渦中にあるものは、いずれ忘れられる。今、バブル期に流行ったブランドが懐かしまれるように、いずれ「そういえば、そんなブランドも買ったよな」と懐かしまれるのだ。

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ブランドが進む道

現代において、靴ブランドには、雑誌等への案件依頼を継続して生き延びるか、流行に合わせてオマージュを作り変えて生き延びるか、おおよそ二択しかない。これは必然であり、仮にブランド自身が悲観しても、いずれかを選ぶしかない。

だが、このままでは本当の意味で品質の高い靴が残らない。それなら第三の道を検討したい。

品質重視の消費者だけをターゲットにするのはどうか。それでは極少数の者に依存することになり、ブランドの存続や発展は見込めない。6章1節で述べた論理と同様である。そういったブランドは実在するが、現にその多くは厳しい経営状況にある。つまるところ、マジョリティをターゲットから外すわけにはいかない。6章で用いた言葉で言い換えるなら、メインストリームで勝負せねばならない。 6章1節『移植の課題』

マジョリティが世間からの評価およびイメージを重視し、それが高いものだけをキャッチすることは今後も不変だ。すなわち、世間からの評価およびイメージだけが購買のフックになる。どんな道を選ぶとしても、このフックが無ければマジョリティに訴求できず、したがって存続・発展しない。

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忘れられないもの

われわれは日々、液晶画面を通じて、何かを知り、何かを買い、小さな喜びを繰り返し得ている。一つ一つの小さな喜びは、次の小さな喜びに上書きされる。

一般的な高級靴もそのワンサイクルを作っている。その靴が与える喜びは、新しい服や新しい時計を買う度に上書きされ、その靴は少しずつ忘れられる。いずれそのブランドは、別のブランドに履き替えられる。そして「そういえば、そんなブランドも履いたよな」と懐かしまれるのだ。

しかしわれわれは、日々小さな喜びを繰り返し得ながら、ごく稀に、優れた芸術や美しい景色、愛や友情といったものから大きな喜びを得る。その大きな喜びは上書きされない。もしも、そういったものと同質の靴が存在するならば...

そんな靴を、一般的な高級靴と区別して「作品」と呼ぶことにしよう。

人々は世間からの評価およびイメージをフックとして、靴を買う。それを愛用し、それが他の高級靴とは異質の「作品」であると気づいたなら、すなわち、その靴から上書きされない大きな喜びを得たなら、彼らはその作品を忘れない。

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新・ブランド論

6章2節で述べた「メインストリームにおけるセオリー」に則るなら、高級靴は作品になれず(何もせずにいれば)忘れられるものとなる。だが、品質第一主義を徹底して貫くなら、高級靴は作品になり、忘れられないものとなりうる。

忘れられるものを売るなら、後続に怯えながら、莫大な資金を広告宣伝に充て続けることになる。だが、忘れられないものを売るなら、その必要はない。ここに高級靴ブランドにとっての第三の道を見いだせる。

ただし、品質第一主義を貫けば(あらゆるリソースを品質のみに充てれば)世間からの評価およびイメージというフックを作り手自身では作れない。そのままでは作品は埋もれた宝に終わる。いくら優れたものを作っていても、ブランドは存続・発展しない。

ある芸術家がいる。彼は、ただただ創作を愛し、良いものを生み出すことだけに全身全霊を傾ける。いかに知ってもらうか、いかに売るかを考える余裕はない。したがって、誰も彼の作品を知らない。

だが、ある時、彼の友人や家族がそれを知ることになった。彼らは心打たれ、それを世間に広めたいという欲求、広めなければという使命に駆られる。彼らの活動の結果、他の人々も同様に心打たれ、同様の欲求と使命に駆られる。そこからさらに他の人々へと広まって、作品は後世にも受け継がれていく...

何百年も保存され、今日まで残る芸術には、こういったプロセスを経たものが多い。仮にも芸術家が、創作そのもの以外(いかに知ってもらうか、いかに売るか)に気を取られて創作したなら、その作は今日まで残っていないかもしれない。創作そのものだけに集中して創作したからこそ、同世代の人々のみならず後世の人々をも動かす強力なアートパワーが生じ、その作は今日まで残ったのだ。

品質第一主義を徹底的に貫き、他の高級靴とは異質の「作品」を作る。その作品は、優れた芸術や美しい景色、愛や友情といったものと同様、人々に対し、決して上書きされない喜び、忘れられない喜びを与える。人々は心打たれ、その作品を他の人々に伝えようとする。作品のアートパワーに突き動かされた人々の活動が、そのブランドの社会的な評価やイメージを築いていく。それが人々に対するフックになる。作り手は、忘れられることや後続に怯えることなく、故に訴求について考えることもなく、創作だけに専念し続けられる。

これが高級靴ブランドにとっての第三の道である。現状では「作品」たる靴がほとんど皆無であるため、多くの者は、これを机上の空論だと考えるだろう。しかし、その考えは芸術を否定することに等しい。

芸術の歴史が、『新・ブランド論』が実現可能であることを示している。すなわち、創作自体や作品の価値を伝えること自体に喜びを見出して動く人々がいる限り、これは実現可能である。 7章3節『価値を伝えたいという欲求』

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前章までの内容と本章の関係

本書の前半では、今存在する品質の高いものを守る目的で、選挙権を行使するように、購買し、情報を発信・拡散することの必要性について言及した。また本書の後半では、新たに品質の高いものを生む目的で、東欧靴圏に残る品質第一主義の文化をその他の地域に移植し、履き手訴求モデルによって、その文化を存続・発展させることを提案した。

「票を投じる」こと、および履き手訴求モデルは、消費者の自発的なコミットメントである点で共通する。本来なら事業者自身が行うような広告宣伝や販促等(それに係る費用が販売費及び一般管理費に計上される様々な活動)を消費者が担うのだ。

以上の前章までの内容は、本章で述べた『新・ブランド論』から導かれる。

『新・ブランド論』におけるブランドは創作だけに集中し、そこで生まれる作品のアートパワーが受け手を動かす。すなわち、ブランドは受け手を動かすもの(ブランドにコミットしたくなるようなもの)を生み出すが、自らは売ろうとしない。受け手が自発的に、情報を発信・拡散したり、作品の訴求を行う。全ての受け手が「投票」しつつ、一部の受け手がブランドに代わって訴求活動を行うのだ。

『新・ブランド論』の実現を目指して

当スタジオは『新・ブランド論』の実現を目指す。

当スタジオの運営陣は、他に生業を持ちながら、この活動をしている。つまり、われわれは履き手の集団である。

われわれは、上述の "一部の受け手" として、アトリエに代わって訴求活動を行う。そして、他の履き手(受け手)が「投票」したくなるようなコンテンツを公開する。作り手と一体になって、品質第一主義の文化を日本で存続・発展させるのだ。

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