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新モデルとその実例

セオリーに則らず、メインストリームへ

最高品質の靴を作ることは、プライベートタンナー(ウェブブック『ギルド系アトリエ』において解説)や真のマイスターを抱える作り手にしかできない。だが、彼らの作をメインストリームの人々に伝えることは、われわれ履き手にもできるはずだ。

ウェブブック『ギルド系アトリエ』

東欧靴圏に残る品質第一主義のブランドを、日本やその他の地域に移植する。これまでと同様、彼らは高品質を徹底的に追求する。それだけでリソースの利用度は上限に達する。したがって、世間からの評価およびイメージ向上の施策を打つためのリソースの余力が残らない。このままでは、メインストリームから新規者を継続的に呼び込むことはできず、メインストリームに割り込むことはできない。

そこで、われわれ履き手というリソースを新たに追加する。すなわち、われわれ履き手が、ブランドに代わって彼らの作を訴求するのだ。

有名ブランドのように、圧倒的な高評価や強いイメージを作って、何万人何千人に訴求する必要はない。地道に作品の良さを伝えて、存続・発展に最低限必要な人数に訴求できれば良い。規模は極めて小さいが、それ故に、アノニマスな世間の声やブランドイメージといった曖昧なものに頼らず、実体験と理論に基づいた確固たる訴求になるはずだ。

2020年からのパンデミックを受け、あらゆる興業が観客数を絞った。それを体験し、実感したことがある。スポーツや音楽をエンターテイメントとして仕上げるのは、オーディエンスであるということだ。われわれは、アスリートやアーティストに感動し、さらに、彼らに一体して声援を送るオーディエンスに感動するのだ。

それと同様、品質第一主義の文化を存続・発展させるための一押しをするのは、われわれ履き手である。

既存の方法との相違

消費者に対して、自社のSNSアカウントをフォローさせる、自社の投稿にいいねをつけさせる、指定したハッシュタグで投稿させる等の方法は一般的になった。これらの方法と、前節で述べた履き手訴求モデルは、消費者を巻き込む点で共通するが、以下の2点で相違する。

前者では、事業者の訴求(例えば、販促ページ等)を拡散する手段として、消費者の参加を促す。参加者には、大きな労力や特別な知識が求められない。いかなる者かを問わず、とにかく参加者の数を増やすことが重要である。その一方で、後者の履き手訴求モデルでは、履き手が作り手に代わって、まるで作り手の組織内の一部門を担うかのように、作品を訴求する。当然、履き手には、ある程度の労力と知識が求められる。すなわち、前者と後者で、参加者のコミットメントの度合いが大きく異なり、したがって参加者に求められるものも大きく異なる。

前者では、消費者の参加にあたって、経済的な誘因付け(商品、クーポン、キャッシュバック等による)を行うことも多く、広報部やプロモーション部が業務を行う。すなわち、事業者はリソース(お金、時間、人材など)を投入する。しかしながら、後者では、履き手の参加にあたって、作り手はリソースを投入しない。

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価値を伝えたいという欲求

日本で暮らすあなたは「なぜ、経済的な誘因なしに、履き手が労力と知識を使って、作り手に代わって訴求活動をするのか。そんなことはあり得ない」と考えたかもしれない。

高度な資本主義社会に生きる人々は、明確な目的なしに「お金(お金を稼ぐ機会)を得なければいけない」「お金(お金を稼ぐ機会)を失ってはならない」と考える。そしてお金が目的であると錯覚する。だが、本来、お金は価値と価値を交換する(誰かの仕事と誰かの仕事を媒介する)ための一つの道具、手段に過ぎない。ゆえに、お金は目的に対して必ずしも必要ではない。

他地域の流通業者は、東欧靴圏に残る "知る人ぞ知る辺境の名店" に商談をかける。その際、彼らはこう言うのだ。

「なぜ、あなた達はこんなにも技術があるのに、田舎で細々と靴を作っているのですか。都会に店を構えて、アシスタントを雇って分業すれば、もっと儲かりますよ。あなた達は損をしています」

それに対して、店主は返す。

「もっと儲かった後、どうするのか。結局、私はここに戻ってくる」

店主にとって、人生の真の目的は優れた作品を作ることだ。この目的のために、彼はお金を稼ぐ機会を失うことを厭わない。現在得ている以上のお金は不要だと考えている。

このように真の目的を創作に定める者がいるのと同様、真の目的を作品の価値を人々に伝えることに定める者もいる。そして価値を伝えることにおいて、お金は必ずしも必要ではない。

誰しも、お気に入りのものは、家族や友人、恋人に紹介したくなるものだ。その良さを共感したいものだ。価値を伝えたいという欲求は、ごく自然に(外的な誘因なしに)生まれるものである。すなわち価値を伝えることは、純粋な目的になり得るのだ。

人々が常に経済的に誘因づけられて動くなら、やがて優れた作品は消えていく。人々が、創作自体や作品の価値を伝えること自体に喜びを見出して動くなら、本当に優れた作品が生まれ、残っていく。

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実例としてのギースバッハ

人間にとって、価値を伝えたいという欲求が本来的であるなら、履き手訴求モデルは自然である。しかしながら、現実に、このモデルによって作品の価値が多くの消費者に伝わり、あるブランドや文化が存続・発展することは容易ではない。同じ欲求を持つ複数の履き手が集い、それぞれが強いエネルギーを注ぐ必要があるためだ。

したがって多くの者は、履き手訴求モデルの実現に対して懐疑的であると同様に、履き手訴求モデルの有効性(仮に実現した場合の有効性)に対しても懐疑的だろう。だが、その懐疑を払拭する実例がある。

私は、趣味で革靴を集めており、自宅に職人を招いて、靴を作ってもらうことがあった。やがて、それを友人にも分け与えるようになり、自宅で発注会や品評会を開くようになった。造園師を招き、庭で果樹を育て、実った果実を皆で味わう。喩えるならこんなイメージだ。

その規模は少しずつ大きくなり、やがて定期的に会場を借りて会合するようになった。私の庭は、皆の庭へと成長したのである。われわれは、この会をギースバッハと名付けた。

ギースバッハでは、それぞれが新たに友人を招き、作品の良さを伝えている。それに共感する者が参加し、また彼が友人を招く。こうして履き手が増え、それに伴って発注や発注先も増える。

彼らが第一に求めるものは、作品そのものの出来栄えであり、すなわち品質である。ギースバッハでは、品質第一主義の文化が存続・発展しているのだ。

ギースバッハという存在を知れば、懐疑は払拭され、履き手訴求モデルに希望を見出せるはずだ。ギースバッハには、自身が直接的に品質第一主義の文化を存続・発展させる役割があり、人々に希望を与えることで同様のムーブメントを促し、間接的に品質第一主義の文化を存続・発展させる役割がある。

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