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品質乖離のメカニズム

現代における消費者

製品やサービスの品質を測るのは、それぞれの五感である。現代のわれわれは、多くの場合、この自身の判定の前に(すなわち、製品やサービスを実際に手に入れる前に)世間からの評価やイメージ、すなわち、世間の判定を確認する。服を買う前にはブログやInstagramの投稿を、レストランに入る前には食べログのレビューを見ている。

これが習慣化するほど、世間の判定の重要度が上がり、自身の判定の重要度が相対的に下がる。やがて、世間からの評価やイメージが良いものしか気に留めない、あるいは、たとえ自分が気になったものでも世間からの評価やイメージが悪ければ買わないといった状態になる。

この状態になっている人々は多い。セレクトショップを経営する知人達は、開口一番、どこのファクトリー製かを問われることが増えたと言う。口コミの良いファクトリー製の靴であれば購入され、そうでないファクトリー製の靴はスルーされるそうだ。また、小規模なビスポーク靴店を営む知人達は「あなたの靴がとても気になった。でも、レビューが少ないので買うのは不安だ」と言われることが多々あると言う。

また、この状態になっている人々にとって、しばしば、世間からの評価やイメージ(世間の判定)は、品質(自身の判定)に対するバイアスになる。口コミの良いファクトリー製のものだから品質が高い、口コミの悪いファクトリー製のものだから品質が低いと感じてしまうのだ。

さらに習慣化が進むと、世間の判定だけに従い、自身の判定を捨てることもあり得る。すなわち、世間からの評価やイメージさえ良ければ満足する、品質はどうでもいい、という状態になる。

現代では、無限の情報による刺激で、こういった習慣化がどんどん進んでいる。大半の消費者にとって、まずは、世間からの評価やイメージが重要(どれほど重要視するかの程度は人によって異なるが)になる。すると当然、世間からの評価やイメージが良いアイテム(人気アイテム)を優先的に追うことになる。

こんな状態になっていることについて、大抵は無自覚だ。何かを実体験する前に、レビューを読む、SNSの投稿を見るということが、当たり前になり過ぎた。

ここで強調しておきたいのだが、私は、世間からの評価やイメージを重視することや、世間からの評価やイメージが良いアイテム(人気アイテム)を優先的に追うことが悪いと言いたいのではない。そうすることで幸せになれる場合もあれば、幸せになれない場合もある。私は後者の場合に陥る人を減らし、全ての人が幸せになって欲しいと考えているのだ。

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現代における事業者

以上のような消費者に対応すべく、大半の売り手は、製品やサービスに対しての世間からの評価やイメージを良くする(世間からの評価やイメージが悪くなるのを防ぐ)ことを重視する。

いくら品質が高くても、世間からの良い評価やイメージがなければ気に留めてもらえない。だが、世間からの良い評価やイメージがあれば、気に留めてもらえるだけでなく、それだけで品質が高いと思われることや、品質を気にしない消費者に買ってもらえることもある。

したがって、現代の大半の売り手にとっては、まずは世間からの評価やイメージを良くする(世間からの評価やイメージが悪くなるのを防ぐ)ことが重要であり、この目的のための手段として、品質を上げることや、ある程度の品質を維持することが必要になる。仮にもこの目的が他の手段によって果たされるのであれば、 品質を上げることや、ある程度の品質を維持することは不要かもしれない。また、場合によっては、この目的のために品質を犠牲にすることもあり得る。

もちろん、品質が「この価格だったら、この程度の品質だろう」という世間からの期待水準を大きく下回らないことが前提である。期待水準を大きく下回れば、例えば悪評が拡散されることによって、世間からの評価およびイメージが急激に悪化するからだ。この点については6章で改めて述べる。

都内で美容院を5店舗経営する知人は、資金の使途が大きく変わったと言う。以前は、1店舗あたり毎月約100万円を、技術が高い人材のヘッドハンティングに充てていた。現在はヘッドハンティングをやめ、その分をポータルサイトやインフルエンサーへの案件料として、良い口コミを作ることに充てている。

また、以前も現在も人材の重要性に変わりはなく、最低限の技術が必要なことにも変わりはないものの、飛びぬけた技術がある人材よりも、多くの "いいね" を集められる人材を優先的に雇うようになったそうだ。

90年代には、80年代の高級靴の方が品質が高いと言われ、00年代には、90年代の高級靴の方が品質が高いと言われた。すなわち、高級靴の品質はどんどん下がっているという通説がある。品質の定義(何をもって品質が高いとするか)によって、この通説の真偽は左右され、その点で議論の余地はある。だが、私は、「長く履けるか」「美しくエイジングしていくか」を品質の定義とするならば、この通説は真だと考えている。また、以下の事実もこの通説が真であることを支える。(だからと言って、品質の定義の曖昧さが生む議論の余地が消えることはないが)

私は、実業家としての本業の傍ら、長年にわたって複数の欧州の高級靴メーカー(いわゆるファクトリーブランド)でコンサルティングを行ってきた。それらのメーカーでは、80年代から継続的に総原価に占める製造原価の比率が下降し、販売費及び一般管理費(以下、販管費)の比率が上昇している。

製造原価:材料の仕入れ値や、工員の労務費等、生産現場でかかるコスト 販管費:広告宣伝費や、販売店の運営費等、生産現場を出てから消費者の手に届くまでにかかるコスト 総原価:製造原価と販管費の合計。一般的には、これに利潤をのせることで価格が決まる。

製造原価の多寡は、直接的に靴の品質を左右し、間接的に世間からの評価やイメージを左右する。その一方、販管費の多寡は、直接的に世間からの評価やイメージを左右する。したがって、製造原価率の下降および販管費率の上昇は、メーカーが、品質に比べて、世間からの評価やイメージをより重視するように変化したことを意味する。

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日本の高級靴市場は、世界的に見ても規模が大きく、欧州の高級靴メーカーにとって極めて重要である。したがって、日本の消費者のあり方が、欧州の高級靴メーカーのあり方に影響する。

日本の消費者は、僅かな傷の有無や、僅かな左右差の有無を気にしており、その有無が、日本の消費者からの評価やイメージに強く影響すると言われる。それに対応して、欧州の高級靴メーカーは、僅かな傷や僅かな左右差を無くすことに多額のコストをかけている。

私が関わったメーカーも総じて、例えば「長く履けるか」や「美しくエイジングしていくか」といったことよりも、傷をつけないことや左右均一に仕上げることを優先していた。そのための技術教育を行い、そのための工程(例えば、革に加工を施したり、傷をプレスしてならす等)をいくつも設けている。

革靴という製品は、動物の身体の一部を素材とし、製造過程に手作業を含む。そのため、僅かな傷や僅かな左右差があるのが普通で、それがあることが革靴らしい美点(工業製品との違い)とも捉えられる。私は、試着すればつくレベルの軽い傷や、凝視しなければ分からない左右差はあって然るべきものとし、「長く履けるか」や「美しくエイジングしていくか」を最優先して、そこに最大限のリソースを注いで欲しいと考える。もちろん、そのレベル以上のキズや、一目で分かる左右差は看過できないが。

実は、メーカーの経営陣も私と同じ考えを持っている。だが、日本の消費者からの評価やイメージは極めて重要であり、品質(長く履けることや、美しくエイジングしていくこと等)を犠牲にしてでも、僅かな傷や僅かな左右差を無くすことが必要だと言う。

前述の通り、メーカーでは総原価に占める製造原価比率が下がっている。限られた製造原価予算を、品質に影響しないもの(僅かな傷、僅かな左右差を無くすこと)に充てるとなれば、自ずと品質が犠牲になるのだ。

仮にも、僅かな傷や僅かな左右差の有無によって品質を定義するなら(僅かな傷や僅かな左右差がないものを品質が高いと定義するなら)メーカーによる上記の意思決定は品質を高めていると認識できる。だが、経営陣は「長く履けるか」や「美しくエイジングしていくか」によって品質を定義しており(長く履けるもの、美しくエイジングしていくものを品質が高いと定義しており)自らの意思決定は品質を下げていると自覚している。

特殊な例を除き、事業者が生き残るためには、利益を出さなければならない。そして利益を出すために、消費者が世間からの評価やイメージを重視するなら、事業者もそれを重視する必要がある。

したがって、大半の事業者が目的(世間からの評価やイメージを良くすること)のための一手段として品質を扱ったり、この目的のために品質を犠牲にすることは必然である。仮に、事業者本人がそれを悲観したとしても、そうせざるを得ないのだ。

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品質の乖離

消費者は、ネットが普及する以前も、世間からの評価やイメージ(世間の判定)を確認した。だが、その機会は限られた。そのため、製品やサービスを自分の生活に取り入れた上で、五感でどう感じるか(自身の判定)が、ほとんど全てだった。すなわち、品質がより重要だった。そして、そんな消費者に対応すべく、事業者も品質を重視した。

ネットが普及する以前の時代では、おおよそ、品質が高ければ売れ、それに伴って、そのバックで世間からの評価やイメージが上がっていった。対して現代では、世間からの評価やイメージが良ければ売れ、この流れを生む様々な手段の一つとして品質がある。つまり、かつては「品質」「売上」「評価およびイメージ」の三者が強く相関していたが、現代ではそこから品質が乖離し得る。

現代では、世間からの評価やイメージが良いアイテム(人気アイテム)を頂点としたピラミッドが市場を埋めていく。ピラミッドの中には、品質が高いものもあるが、品質が低いものも多い。また、ピラミッドの上位に位置するほど、品質が高いとは限らない。ピラミッドに入れるか否かや、ピラミッド内での序列に、品質は強く関係しないのだ。

そして、ピラミッド内の品質が低いものが得票数を伸ばす裏で、ピラミッド外の品質が高いものが得票数を落とし、市場から淘汰されていく。 2章2節『宝物の消失』

特に、「品質」「売上」「評価およびイメージ」の三者が強く相関していた時代を知っていれば、「売れているものや人気のものは、品質が高い。品質が高ければ、人気になり、売れる」と考えてしまう。だが、それは思い込みである。そして、例えば「この靴はあの靴よりも品質が高いのに、なぜ、この靴の方が売れないのか」という疑問を抱くのは、この思い込みがあるためだ。

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